カーテンコール

なにかのをたく

Hey!みんな元気かい? #松竹座で同窓会 しよう

出たよ、懐古厨。そうやって笑われそうな記事を書きます。
ヲタ卒をして違うジャンルのヲタクを始めて早数年。だけど、何かにつけて「あのころ楽しかったな~」「真夏の松竹座行きたい!」と思ってしまいます。好きな年に戻っていいよ、と言われたら、わたしは間違いなく2013年を選びます。いつまで浸ってんだよと嘲笑されたら、ほんとそのとおり以外の何でもない。
でも、懐かしいし、思い出しちゃうし、「あぁ、あのころ楽しかったな。あのころのみんな、今、どこで何してるのかな」って、そう思いを巡らせてしまうので。それならば、SNSの力を借りて、同窓会みたいな、そういうものができないだろうかと、ちょっと考えてしまったわけです。
別にそんな大それたことがしたいわけではなく、ちょっとみんなで思い出話がしたいだけです。もし、乗っかってくれる人がいるなら、ぜひ。楽しかったこと、しんどかったこと、今だから笑って話せること。あのとき松竹座であったあれこれを、思い出としてお話してください。
それともうひとつ、今は何に夢中ですか?それを聞きたい。あのときの担当を今も応援しているのか、今も松竹座のステージを見ているのか、それともジャンルを大きく変えたのか、そもそもヲタクじゃなくなったのか。あれから数年のときを経て、みんながどんな風に変わったのか、変わっていないのか。それをぜひ教えてほしいです。

さて、ここでようやく「あのころ」ってなんじゃい。という話です。わたしの言う「あのころ」とは、多分わかりやすく言うと松竹座での【フォト一揆】真っ盛りだった時代のことです。「フォト一揆」で検索すると、2012年のジャニヲタ流行語として出てくるので、はじまりはその前後。終わりは…やっぱりジャニーズWESTのデビュー前後でしょうか。相場が異常に高くて、バルコニーの登場があって扉横の争奪戦がすごくて、うちわを持つことができたあのころの松竹座。幕が開くまで担当がいるのか不安で、千秋楽のたびに誰かが泣くのが怖くて、いつ誰がやめてもおかしくなかったあのころの松竹座。その時代に関西ジャニーズジュニアの応援をしていた皆さん、ぜひ思い出と現状を聞かせてください。

もう少しわかりやすく、こんなことをわたしは知りたいんだ!読みたいんだ!というものをまとめます。元関ジュ担らしく「5W1H」を使って(笑)

#松竹座で同窓会
■趣旨:2011年~2014年ごろに関ジュ担だった皆さまから思い出話を聞いたり、今何をしてるか聞いたりして同窓会みたいな空気を味わう(雑)
【いつ(When)】この記事を読んで「懐かしいなぁ、クソ!」と思ったとき
【どこで(Where)】あなたがお持ちのSNSツール(ブログ、Twitter、note.などなど)で
【だれが(Who)】あのころの松竹座に思い出があるひとならどなたでも
【なにを(What)】①あのころの思い出話(松竹座での思い出じゃなくてももちろんOK) ②今、どんなことに夢中?(ヲタクを続けているなら、その話をぜひ詳しく聞きたいです)
【なぜ(Why)】ノスタルジーに浸ったり、思い出話に花を咲かせたり、同窓会みたいな、そういうものがしたかったので
【どのように(How)】この記事に言及していただくか、Twitterの場合は「#松竹座で同窓会」というハッシュタグをつけていただきましたら、頃合を見てまとめ記事を作成するつもりです

発起人?のわたしの思い出話と今なにをしているかは、また次の記事に書くつもりでいます。簡単に言うと、いちばんの思い出は全力で駆け抜けた2013年の諸々で、今はプ女子をやっています。
それでは皆さんの素敵な思い出話と、あっと驚く現状報告をお待ちしています。

 

2013年の濱田くんの言葉たち。

気づいたらジャニオタをやめて丸2年が経っていた。まだ2年かと思う気持ちもあり、もう2年かという気持ちもあり。ただ、最近TwitterジャニーズWESTが関西ジャニーズJr.だったころの動画が回ってくると懐かしくてついつい見てしまう。そしてもれなくあのころに戻りたいという感傷に浸ってしまう。
ヲタクをしていていちばん楽しかったのは間違いなく2013年。いちばんつらかったのも2013年。そのころ担当だった濱田くんが外部舞台に出たり、関ジュの全国ツアーがあったり、明らかな序列が丸見えのクリパがあったり、連ドラSHARKがあったり。最後の最後にジャニーズWEST4の悪夢が待っていたわけだけど、ヲタクをやってきた中で間違いなく一番濃い一年だった。

そんな中で、特に印象に残っているのは濱田くんの言葉たち。当時Twitterにあげていたものを引っ張りあげてきたのは、私が応援していたころの濱田くんを形として残しておきたかったから。当時、わたしは「濱田くんの言葉には魔法がかかってる」とよく言っていたけれど、その中でも特に心に残っている3つをご紹介。

まずひとつ目は舞台「大和三銃士」10月12日昼公演後の挨拶。この回には濱田くんのお母様とおばあ様がご観劇にいらっしゃっていました。

「どこで見てるかわかりませんが、僕のお母さん、おばあちゃん!こんなに大きく育ちました。こんなに素敵な皆さまと…(涙こみ上げる)今日、ほんま緊張して…歯磨きで顔洗っちゃいました(笑)もっとすごいところに連れていくので、これからも応援よろしくお願いします!」

最初はにこにこして嬉しそうにお母さんが見に来てるんですよ!と言った濱田くんが、挨拶の途中で涙ぐんでしまうどころか泣いてしまったのを見て、思い切りもらい泣きした記憶がある。雑誌のインタビューなんかを読むと仲がいいのが伝わってくる濱田くんとご家族だったけど、直接気持ちを伝える場に立ち会えたことに感動でした。「もっとすごいところ」、確実に連れて行っている濱田くんは、本当に素敵な孝行息子だなぁ。

続いても同じく舞台「大和三銃士」、こちらは千秋楽後の挨拶。

濱田「すごく締まったあとに僕が話すのもなんなんですが…(笑)とりあえず皆さんお疲れ様でした。本当に幸せ…うぉい!(ビンタ)おあー!あかんあかん(パチパチビンタ)いけるか?(ビンタ)本当に自分は幸せ者だと思います。オーマイガッ!!!えー……(会場からの頑張れ!の声援に)頑張ってますよっ!えー、本当に全員主役といってくれました(震え声になる)家族や同じ関西ジュニアの…うりゃー!うおー!
獅童「いいねー!今日も!ちょっと長くなるようだったら座ってもらったら?」
濱田「いえ!短めに終わらせますっ」
獅童「ずーっと喋ってもいいんだよ?一時間喋ってもいいんだよ?」
濱田「いえっ!観に来てくれたジュニアがみんな最初に全員が主役だったと言ってくれて。とても嬉しかったです。でも、最初から全員の心がひとつだったかと言えば違うと思います。見事にそうさせてくれたのが、僕は獅童さんだと思います。ありがとうございました!(獅童さんに向かって礼)僕の人生の中で、まだ生きますけど!数ある中でいちばんの思い出になりました!ありがとうございました!」

 途中で奇声をあげたり自分の頬をビンタしていたのは、涙をこらえるためでした。というのも、千秋楽の前日の昼公演から濱田くんの涙腺はゆるゆるになってしまっていたようで、公演が残っているというのに終演後の挨拶で号泣してしまっていたわけなんですが、千秋楽でももちろん涙交じりの挨拶でした。大和三銃士は個人的にすごく思い入れが強い現場で、座長でいらっしゃった中村獅童さんを中心に、藤井隆さんや早乙女太一さん、真琴つばささんなどのメインキャストから役名のないエキストラの皆さんまで、「全員が主役」をモットーに、団結力の強いカンパニーが全39公演を演じきった舞台でした。濱田くんは特に獅童さんに可愛がってもらったようで、毎公演カーテンコールでの挨拶を担当していました。濱田くんにとってははじめての外部舞台。稽古と本番合わせて2ヶ月。きっと彼にとって大きな経験になったのだろうと思うし、それだけ全力投球したんだと思いながら、千秋楽で涙ながらに思い出を語る濱田くんを見つめた記憶があります。

最後はクリパG公演(濱田・神山・藤井)12/20公演、クイズコーナーで負けた濱田くんへの罰ゲームとして課された「25歳の抱負」です。

皆さん、僕、濵田崇裕は今年で25歳になりました。初めてここ松竹座に足を踏み入れたときはジャニーズ事務所のオーディションでした。で、関ジャニ∞のバックについて、先輩に支えられて、先輩の中でJr.曲を歌わせてもらって。
気がつけば、自分たちでコンサートやらせてもらって。気がつけば、こんなアホな僕にもずっと支えてくれるファンのみなさんが気がつけば周りにたくさんいました。(声が震える)本当に心配をかけることも多かったと思います。それでもついてきてくれる皆さんに少しでも恩返しできるようにと思い、今あるすべてを出して、自分のアホさを出して…こんなアホさを出してもついてきてくれるファンの皆さんがいいなぁと思って、このコーナー考えたの実は僕なんです(笑)これガチなんですよね?ガチで…ガチで皆さんの顔を見てると、ツラいとき泣きそうです。頑張ってって言われると…結構くるものがあります。でも、皆さんに伝えたいことは頑張って死ぬまでに出したいから、だからたくさん迷惑をかけた方もいらっしゃると思います。でも!僕、濵田崇裕はこの仕事以外多分できないと思います。っていうのも、一度…何度かこの仕事をしてなかったらって考えたことがあります。でも、全く頭の中、ビジョンの中にそんな姿は浮かんできませんでした。ここに立って、みんなの笑顔を見たいから。だから、末長く…25歳ですが、決して若くない歳ではございますが…僕の頭の中は23歳で止まったままなので(笑)皆さんのために全力を尽くして生きていくことを誓います!末長く応援よろしくお願いします!

 この抱負?挨拶?はほんっっっっとうによかった。アイドルとしての濱田くんのスタイルだとか、アイドルを仕事にすることについてどう考えているのかとか。いろんなことがぎゅっと詰められていると思うんですが、わたしが特に感動したのは「みんなの笑顔が見たいから」「皆さんのために全力を尽くして生きていくことを誓います」というところ。これってつまり、ファンのために全力を尽くして、ファンを笑顔にすることが自分の仕事でありやりがいだと思ってる、ってことだと思うんですね。そんな風に自分の仕事にプライドとかやりがいとか見つけてる25歳なんてそういないぞ?!最高な人を担当にしてるな!って当時は泣きながら思ったのでした。

この感動的な抱負を聞いた半年後には自分は濱田担を降りてしまったのですが、それでもなお、このころの濱田くんのことは大好きで、このころの濱田くんを超えられる人が現れないからわたしはジャニヲタを辞めたんだと思います。それくらいに、彼のことが好きでした。

 

(おわり)

フォト一揆の思い出ととあるアルバイトの話

使っているSNSを整理しようかな~と思い、ばらばらの場所に書いていた記事をここに一本化することにしました。
これは、note.に投稿していた記事。思わぬきっかけでたくさんの方の目に触れることになり、当時とある掲示板に書かれることもあったため、有料コンテンツとしていました。今はもうジャニヲタとは言えないような人間なので、こちらで公開してもいいかと判断しました。微妙に加筆修正を加えています。

 

【キャバクラでバイトしていた元関ジュ担の話】
大学を卒業して、専門学校に通いだしたその年、バイトもせずに春松竹、Sexy Zoneの初アリーナコンサート、当時の担当がはじめて出演した滝沢歌舞伎、夏松竹、9月の日生を終えたわたしの口座残高は恐ろしいことになっていました。
そこで、専門学校の授業も落ち着いてきた秋口、ようやく重い腰をあげて働くことにしたわけです。キャバクラを選んだ理由は単純。シフトに自由がきいて、時給が高いから。あとは、大学時代に水商売のバイトをすでに経験していて、自分にとってはファミレスで働くのも夜の仕事をするのも感覚的には変わらなかったからです。

仕事についてはほんの少しだけ触れておきます。わたしの働いていた店の始業は夜の20~21時の間で、終業時間は決まっていませんでした。次の日学校があっても深夜2~3時まで働く日も稀ではありますが存在しました。給料は日払い。本当は月に○本は指名を呼ばないといけない、みたいなノルマが存在していましたが、やる気なし嬢だったのでうやむやにして完全日払いのまま辞めるまでごまかしていました。
いろいろなお客さんがいました。地域柄もあるかもしれないですが、厳しいお客さんが多かったです。いちいち真に受けていられないくらい、嫌なことを言われることもありました。そんな中で、働いて泥のように寝て楽しくない学校に通う。その日常のご褒美に関西ジュニアのステージがある。そんな感覚でした。
あと、ステージを観るたびに、男の人たちが汗水垂らして稼いだお金をわたしたちが心を削った代償としてもらい、そのお金がきらびやかなステージに消えていくというのは何とも不思議で、経済とはこうやって回っていくのだなぁと感じていました。

さて、ようやく本題に入ります。わたしが通っていた(というほど入っていませんが)その頃の松竹座には独特な文化がありました。「フォト一揆」と呼ばれていたそれは、千穐楽に担当のフォトセットを売り切れさせるべく、ヲタクがそのとき残っているフォトを買い漁っていくというものです。 なぜそんなことが行われていたかといえば、多分、当時の関西ジュニアの扱いにどうにかして反旗を翻したかったのではないかと思います。それと、担当にやめないでほしかったから。当時の松竹座と言えば、千秋楽のたびに誰かが泣き、それが退所の暗喩だったり、幕が開いたらポスターに名前が載っていたにもかかわらず姿がない子がいたりする、とても不安定な場所でした。
当時のわたしの担当はしょっちゅう退所の噂が立ったり、関西ジュニア内での立ち位置も少しずつ後ろに下がっていくような存在でした。フォトセットもいつもギリギリまで売れ残っていて、その場にいないわたしははらはらしながらTwitterを眺めるばかり。でも、働き始めて少しずつお金に余裕ができてきたわたしは、次の松竹からフォトを大量に買うようになりました。最初は50、そこからどんどん増えていったその量は、多分普通の人には理解しがたいものだろうと思います。実際、批判的な声ももちろんありましたし、わたし自身もそれが「正しい」行為なのかはわかりません。ただ、わたしが買いたいから買っていただけで、同意を求めるわけでもほかのヲタクを煽りたいわけでもありませんでした。
でも、ジャニーズJr.というとてつもなく不安定な位置にいる彼らを見つめるなかで、何かしら形に残る応援をしたかったのだと思います。個人によって準備数は違うでしょうし、売り切れるイコール人気があると認識されるかもわかりません。ただ、「○○のフォト売り切れたよ」と伝えられるのか「○○のフォト残ったから」と伝えられてしまうのか、どちらが彼の幸せだろう、と考えたとき、それはきっと前者だろうし、それなら微力でも彼を喜ばせたかった。
彼はステージの上ではいつも楽しそうで不安なんてないまま活動しているように見えていましたが、実際のところそうじゃなかったんだろうというのは、彼がデビューする前年に冬の松竹で見せた涙で知りました。彼自身もきっと自分の現在や将来を考えたとき、泣きたくなるほど怖かったのだと思います。それでもファンに夢を見せてくれていた彼が、愛おしくて仕方がありませんでした。

さて、ずいぶんと話が逸れてしまいましたので、ここでおしまいにしたいと思います。今年も松竹座では冬のコンサートが開催中です。フォト一揆はずいぶん廃れてしまいましたが、ステージに立つ彼らの輝きはきっとあのころと変わらないのでしょう。