カーテンコール

なにかのをたく

2013年の濱田くんの言葉たち。

気づいたらジャニオタをやめて丸2年が経っていた。まだ2年かと思う気持ちもあり、もう2年かという気持ちもあり。ただ、最近TwitterジャニーズWESTが関西ジャニーズJr.だったころの動画が回ってくると懐かしくてついつい見てしまう。そしてもれなくあのころに戻りたいという感傷に浸ってしまう。
ヲタクをしていていちばん楽しかったのは間違いなく2013年。いちばんつらかったのも2013年。そのころ担当だった濱田くんが外部舞台に出たり、関ジュの全国ツアーがあったり、明らかな序列が丸見えのクリパがあったり、連ドラSHARKがあったり。最後の最後にジャニーズWEST4の悪夢が待っていたわけだけど、ヲタクをやってきた中で間違いなく一番濃い一年だった。

そんな中で、特に印象に残っているのは濱田くんの言葉たち。当時Twitterにあげていたものを引っ張りあげてきたのは、私が応援していたころの濱田くんを形として残しておきたかったから。当時、わたしは「濱田くんの言葉には魔法がかかってる」とよく言っていたけれど、その中でも特に心に残っている3つをご紹介。

まずひとつ目は舞台「大和三銃士」10月12日昼公演後の挨拶。この回には濱田くんのお母様とおばあ様がご観劇にいらっしゃっていました。

「どこで見てるかわかりませんが、僕のお母さん、おばあちゃん!こんなに大きく育ちました。こんなに素敵な皆さまと…(涙こみ上げる)今日、ほんま緊張して…歯磨きで顔洗っちゃいました(笑)もっとすごいところに連れていくので、これからも応援よろしくお願いします!」

最初はにこにこして嬉しそうにお母さんが見に来てるんですよ!と言った濱田くんが、挨拶の途中で涙ぐんでしまうどころか泣いてしまったのを見て、思い切りもらい泣きした記憶がある。雑誌のインタビューなんかを読むと仲がいいのが伝わってくる濱田くんとご家族だったけど、直接気持ちを伝える場に立ち会えたことに感動でした。「もっとすごいところ」、確実に連れて行っている濱田くんは、本当に素敵な孝行息子だなぁ。

続いても同じく舞台「大和三銃士」、こちらは千秋楽後の挨拶。

濱田「すごく締まったあとに僕が話すのもなんなんですが…(笑)とりあえず皆さんお疲れ様でした。本当に幸せ…うぉい!(ビンタ)おあー!あかんあかん(パチパチビンタ)いけるか?(ビンタ)本当に自分は幸せ者だと思います。オーマイガッ!!!えー……(会場からの頑張れ!の声援に)頑張ってますよっ!えー、本当に全員主役といってくれました(震え声になる)家族や同じ関西ジュニアの…うりゃー!うおー!
獅童「いいねー!今日も!ちょっと長くなるようだったら座ってもらったら?」
濱田「いえ!短めに終わらせますっ」
獅童「ずーっと喋ってもいいんだよ?一時間喋ってもいいんだよ?」
濱田「いえっ!観に来てくれたジュニアがみんな最初に全員が主役だったと言ってくれて。とても嬉しかったです。でも、最初から全員の心がひとつだったかと言えば違うと思います。見事にそうさせてくれたのが、僕は獅童さんだと思います。ありがとうございました!(獅童さんに向かって礼)僕の人生の中で、まだ生きますけど!数ある中でいちばんの思い出になりました!ありがとうございました!」

 途中で奇声をあげたり自分の頬をビンタしていたのは、涙をこらえるためでした。というのも、千秋楽の前日の昼公演から濱田くんの涙腺はゆるゆるになってしまっていたようで、公演が残っているというのに終演後の挨拶で号泣してしまっていたわけなんですが、千秋楽でももちろん涙交じりの挨拶でした。大和三銃士は個人的にすごく思い入れが強い現場で、座長でいらっしゃった中村獅童さんを中心に、藤井隆さんや早乙女太一さん、真琴つばささんなどのメインキャストから役名のないエキストラの皆さんまで、「全員が主役」をモットーに、団結力の強いカンパニーが全39公演を演じきった舞台でした。濱田くんは特に獅童さんに可愛がってもらったようで、毎公演カーテンコールでの挨拶を担当していました。濱田くんにとってははじめての外部舞台。稽古と本番合わせて2ヶ月。きっと彼にとって大きな経験になったのだろうと思うし、それだけ全力投球したんだと思いながら、千秋楽で涙ながらに思い出を語る濱田くんを見つめた記憶があります。

最後はクリパG公演(濱田・神山・藤井)12/20公演、クイズコーナーで負けた濱田くんへの罰ゲームとして課された「25歳の抱負」です。

皆さん、僕、濵田崇裕は今年で25歳になりました。初めてここ松竹座に足を踏み入れたときはジャニーズ事務所のオーディションでした。で、関ジャニ∞のバックについて、先輩に支えられて、先輩の中でJr.曲を歌わせてもらって。
気がつけば、自分たちでコンサートやらせてもらって。気がつけば、こんなアホな僕にもずっと支えてくれるファンのみなさんが気がつけば周りにたくさんいました。(声が震える)本当に心配をかけることも多かったと思います。それでもついてきてくれる皆さんに少しでも恩返しできるようにと思い、今あるすべてを出して、自分のアホさを出して…こんなアホさを出してもついてきてくれるファンの皆さんがいいなぁと思って、このコーナー考えたの実は僕なんです(笑)これガチなんですよね?ガチで…ガチで皆さんの顔を見てると、ツラいとき泣きそうです。頑張ってって言われると…結構くるものがあります。でも、皆さんに伝えたいことは頑張って死ぬまでに出したいから、だからたくさん迷惑をかけた方もいらっしゃると思います。でも!僕、濵田崇裕はこの仕事以外多分できないと思います。っていうのも、一度…何度かこの仕事をしてなかったらって考えたことがあります。でも、全く頭の中、ビジョンの中にそんな姿は浮かんできませんでした。ここに立って、みんなの笑顔を見たいから。だから、末長く…25歳ですが、決して若くない歳ではございますが…僕の頭の中は23歳で止まったままなので(笑)皆さんのために全力を尽くして生きていくことを誓います!末長く応援よろしくお願いします!

 この抱負?挨拶?はほんっっっっとうによかった。アイドルとしての濱田くんのスタイルだとか、アイドルを仕事にすることについてどう考えているのかとか。いろんなことがぎゅっと詰められていると思うんですが、わたしが特に感動したのは「みんなの笑顔が見たいから」「皆さんのために全力を尽くして生きていくことを誓います」というところ。これってつまり、ファンのために全力を尽くして、ファンを笑顔にすることが自分の仕事でありやりがいだと思ってる、ってことだと思うんですね。そんな風に自分の仕事にプライドとかやりがいとか見つけてる25歳なんてそういないぞ?!最高な人を担当にしてるな!って当時は泣きながら思ったのでした。

この感動的な抱負を聞いた半年後には自分は濱田担を降りてしまったのですが、それでもなお、このころの濱田くんのことは大好きで、このころの濱田くんを超えられる人が現れないからわたしはジャニヲタを辞めたんだと思います。それくらいに、彼のことが好きでした。

 

(おわり)

#わたしの生い立ちジャニヲタ編

「4年間で変わったこと、変わらないこと」はてなブログは4周年!

はてなブログ4周年!おめでとうございます!そういえばわたしも今年の春ジャニヲタ4周年を迎えました。はてなブログとジャニヲタとしての わたしは同い年ということになります。4年間(と約半年)を振り返ってみると、そのころと今で変わらないのは「ジャニヲタである」ということぐらいで他はずいぶんと変わってしまいました。現場に対する考え方、担当に対するスタンス、お金の使い方などなど。
そこで、今回は生い立ち的に自分のジャニヲタライフを振り返ってみたいと思います。タイトルをハッシュタグにしたのは言わずもがな。皆さんのジャニヲタ生い立ちを見てみたいな~と思ってのことです。さて、それではわたしの4年間を分岐点になった出来事や現場数とともに振り返ってみます。

■2011年~はじめまして松竹座、はじめまして日生劇場
※大学4年生、バイトはパーティーコンパニオン(のちに掛け持ち)、単位はゼミ以外取り終えていたのでほぼフリーター生活
○4月
・DVD「少年たち 格子無き牢獄」を購入
→買ったときはエビキスのファン*1だったのでそちら目当てだったが、別ディスク収録だった関ジュ版の虜に。
○5月
中田大智退所
→第一線で活躍しているジュニアでも簡単にいなくなってしまう事実に驚きと戸惑いを覚え、「いつか」なんて考えていたらダメなんだ!と思い、担当を名乗ることを決意。夏の松竹座に参戦することを決める。
○7月
Kis-My-Ft.北海きたえーる「2011SUMMER Kis-My-Ft.2」1公演

→今は亡きJチケでチケットが余っていたので帰省ついでに初のぼっち参戦。案外余裕。確かトロッコ最前だったような気がしなくもない。
○8月
・関西Jr. 大阪松竹座「少年たち 格子なき牢獄…&SHOW TIME!」6公演
→ビギナーズラックで1階最前列センターのチケットが降ってくる。びっくりした。遠征に不慣れだったため、ホテル・バスともに高額だったが最初なので財布への負担は少なかった。チケット業務の仕方を知らなかったため、取れなかった公演はあきらめる。
Kis-My-Ft.東京ドーム「Kis-My-Ft.2 Debut Tour 2011 Everybody Go to TOKYO DOME」1公演
○9月
A.B.C-Z&関西Jr. 日生劇場「少年たち 格子なき牢獄」 11公演
→とにかく大好きな公演だった。破産した。ここ○9月でチケット業務(当時はmixiにお世話になることが多かった)と遠征のノウハウを覚える。東京まで往復10時間の遠征を5回こなす。*2あとから増やしまくったのでやたらと弾丸ツアーをしていたが、冷静に考えれば泊まった方が安く済んでいたはず。あと、名義増やした。
Sexy Zoneデビュー
→最初こそ「なんじゃこいつらは!」と思っていたくせに、気づけばふまけんフリークの仲間入りを果たしていた。日生で見たふまたん可愛すぎたし。
○11月
・スナックで働き始める
→9月の日生で残高がまじめに恐ろしいことになり、親にも注意されたので新たにバイトを始める。時給はそこそこで、シフトにめちゃくちゃ融通がきき、おいしいものが食べられて、1日の労働時間も決まっている。最高以外の何物でもなかった。時々お客のおじさんに説教されたけど、接客業ならクレーマーにあたるのは当然のこと。コンパニオンの方と合わせて週5で7勤くらいしていた。楽しかった。
関ジャニ∞ 札幌ドーム「KANJANI∞五大ドームTOUR EIGHT×EIGHTER おもんなかったらドームすいません」1公演

○12月
・関西Jr. 大阪松竹座「X'mas コンサート2011」7公演
→ファンサの喜びに目覚める。チケ運がよすぎて帰りの高速バスで事故って死ぬんじゃないかと思った。あとやたらと淳太くん運が強かったのに、淳太担の友だちと入ることがなかったので残念な限りだった。
・ウイルス性胃腸炎にかかる
→セクゾンの握手会直前に罹患。その後も浮気を試みるたび発熱や胃腸炎にかかるため担当の呪いではないかと話題に。
・カウコン初登場
→テレビで見ていただけだけど今でも「愛なんだ」を聞くとそのときの気持ちがぐわっとよみがえる。

2012年~伏兵現る、そして我慢の年へ~
※大学→専門学校へ進学、4~8月は実習が忙しくなかなか思うように現場に行けず。
○2月
A.B.C-Z 日生劇場「ABC座 星劇場」1公演
→エビキスファンだったころの名残でデビュー公演なら…といそいそ観に行き、ふまけんに射貫かれて帰ってくる。
Sexy Zone 東京国際フォーラム梅田芸術劇場Sexy Zone First Concert 2012」5公演
→1日3公演、5時からグッズ列にひとりで並ぶなど今までで一番体力的につらかった。内容についてはもうふまけん!!!!!!ってなってた記憶しかない。あと大阪の正門くん。風磨を好きになりすぎて担降りを考え始める。
・ルテアトル銀座「ビューティフル・サンデイ」1公演
→大好きな友だちとお泊りもかねて東京に集合。舞台もすごくよくてしばらく金平糖ブームだったし、今でも落ち込んだときは「エイチは世界で一番いい女だよ!」と励ましてもらいたくなる。
○3月
桐山照史 ルテアトル銀座「ビューティフル・サンデイ」1公演
・MarchingJ 東京ドーム「ジャニーズJr.選抜野球大会 2012」
Sexy Zone 横浜アリーナSexy Zoneアリーナコンサート2012」2公演
・関西Jr. 大阪松竹座「春休みスペシャルコンサート2012」2公演
→大学の卒業式の翌日に引っ越し、大体片付いたところで横浜へ向かい、そのまま夜行バスで大阪へというスケジュールを組んだのは、専門入学前の現場納めだったから。このあたりからスケジュールがかつかつで、前のように入りたい数だけ入れなくなってきた。担降りを考えていたが一発のファンサで引き戻される。お手軽。
○4月
日生劇場「滝沢歌舞伎2012」2公演
→入学したてでスケジュールも組みにくい時期だったが、どうしても行きたくて日帰り遠征した。担当が登場して口上を述べた瞬間、涙腺が崩壊したのを覚えてる。
○8月
・関西Jr. 大阪松竹座少年たち 格子なき牢獄…&SHOW TIME!」4公演
→あの配役が見たいな~と思っていたら現実になってしまった公演。死んでしまうかと思ったし、死んでもいいと思った。確か学校さぼった気がする。
○9月
A.B.C-Z&関西Jr. 日生劇場「少年たち Jail in the sky」7公演
→破産2回目。あと、名義増やした。
○11月
・キャバクラで働き始める
→二度目の日生破産を果たしたことにより、無職を脱することに。学校のスケジュールが一週間前くらいにならないとわからなかったりするので、普通にシフト組むバイトは難しいし、どうせなら高時給…ということで。毎日やめたかったけど1年以上続けることになった。もちろんお金には余裕ができたので現場は増やせた。ハッピー。
○12月
・関西Jr. 大阪松竹座「X'mas コンサート2012」5公演
→担当の誕生日公演、あんなにうれしそうな顔は初めてだったと思うし、うれし泣きするのを見て応援しててよかったなぁと心底思った。今でもなんだか大切な日だと思ってしまう。というか、現場入れないと!ってなる日。このあたりまでは基本自チケと交換でまかなっていたような?

2013年~ヲタク絶頂期~
※専門2年生、下半期は授業も減り週の半分はフリーター生活。
○3月
・関西Jr. 大阪松竹座「春休みスペシャルコンサート2012」5公演
○7月
・関西Jr. NHKホール「関西ジャニーズJr.初全国ツアー2013」3公演
→スケジュール合わない!チケット当たらない!で東京しか行けず。それでも大満足できたし、オーラスのトリプルアンコの歓声以上のものをわたしはまだ聞いたことがない。
○8月
・関西Jr. 大阪松竹座「ANOTHER」4公演
→友達含め自チケ全滅という初の事態。他の友達に譲ってもらったりなんだりしたけど、相場が恐ろしく高騰している公演だったためなかなか大変だった気がする。劇中歌がめちゃくちゃ好きだった。あとはじめてフォトセット100買ったのもこのとき。
○10月
新橋演舞場「大和三銃士」20公演
→この年はこれのために生きていたと思う。20回通っても足りない!と思ったし、生きていて楽しかった。普通に学校の授業もあってバイトもしていたはずだけど、演舞場にいた記憶しかない。そして早乙女太一に出会ってしまった公演。
○11月
ドラマ「SHARK」番協 2回
→ライブハウスでの番協。すっごい近距離に興奮する。メイキング映り込みにもほどがあって後日死んだ。
○12月
・関西Jr. 大阪松竹座「X'mas コンサート2013」4公演
→嫌な予感が胸をよぎる組み分け。公演自体はすっごく楽しかった。流星不在事件で責任のないふたりに謝罪させたのだけは今も許してないけれど。フォトセット140に増える。
・悪夢のカウコン
→語らずもがな。

2014年~なにこれどんな演出だよ!まさかのデビュー担へ~
※社会人1年目、先輩が出社拒否を起こし半年で現場責任者へ
○1月
早乙女太一 名鉄ホール「新春特別公演2014BUMP」2公演
→傷ついた心を癒してもらうため…というか現実逃避するため、夢を見せてもらうため年明け早々名古屋に飛んだ。
○2月
ジャニーズWEST 日生劇場「なにわ侍ハローTOKYO!!」2公演
→チケットなんて取っているわけもなかったが、数日前から出演フラグが立ちはじめたため急いでチケットを確保。初日の幕を開けてみればまさかの人数変更で。泣くほど嬉しかったのと、ここまでがシナリオなのかな?という思いと。でも、7人のええじゃないかはやっぱり泣けた。
○4月
ジャニーズWEST 大阪松竹座「なにわともあれ、ほんまにありがとう!」3公演
→ファンサ厨フラグ立つ。フォトセット75に減る。
○7月
ジャニーズWEST ZeppNamba デビューイベント 2公演
○8月
ジャニーズWEST 大阪松竹座「台風n Dreamer」3公演
ジャニーズWEST 横浜アリーナ「皆さんのおかげSummer Carnival」1公演
○9月
ジャニーズWEST 日生劇場「台風n Dreamer」2公演
→ファンサ厨疑惑深まる。担当への気持ち揺らぎ始める。

2015年~祝!初の担降り~
※社会人2年目、連休取るのに罪悪感が生まれる立派な社畜に成長
○1月
ジャニーズWEST 日生劇場「なにわ侍 団五郎一座」1公演
→内容に深みがあって(当社比)すごく面白かった、ゼロ番に立つ担当見てコロっと引き戻される。お手軽。
○5月
ジャニーズWEST 大阪城ホール「パリピポ」1公演
→見ていて違和感。これは違う、もう駄目だと思い担降りを決意。
○6月
ジャニーズWEST 神戸ワールド記念ホール「パリピポ」2公演
→1公演めで元担にさようならを告げて、2公演めで現担当に出会う。終わったあとのホテルでひとり担当会議を開き、翌日にはすっかり現担当の虜に。
○8月
・関西Jr. 大阪松竹座「少年たち 世界の夢が…戦争を知らない子供達&Summer Show!」3公演
→はじめてうちわ持てる!とルンルン気分でいたらうちわ狩られる。なのでフォトを買う。110セット買う。
○9月
・手下沼につかる
→何とか茶の間で踏みとどまったくせに、アクター沼にどぼん。そして今に至る。


こうして見るとやっぱり最初の一年間と2013年の濃さが異常だなと思います。だから、いまひどく物足りなく感じるのかもしれません。ジャニヲタを始めたころは一途こそ美学!だと思っていたけど、今は好きなものはたくさんあった方が楽しいと思う。入れたらそれで満足!質より量!だったのが、今はそこそこの席で入れる分だけ…というスタンスに変わったし。変わらずにいるって簡単じゃないですよね、やっぱり。

さて、タイトルをハッシュタグ風にしたのは言わずもがな。皆さんのジャニヲタ生い立ちもぜひ見せてください!お待ちしています!

 

*1:少クラを見て満足するくらいの茶の間

*2:東北在住だったのに、友達に「エイチいつも東京にいるね」と言われた

「担当」と「一途」

ジャニヲタ文芸部、数人の方からご参加いただいております。ありがとうございます!第0回締め切りは今月末となっておりますので、参加を悩まれている方も是非!お気軽にご参加くださいませ。

ichigonokimi.hatenablog.jp

さて、文芸部用にはまた違うものを投稿するとして、今日は近頃考えていたことについて書こうと思います。

つい先日話題になったジャニーズWEST・淳太くんの連載の件。あれはわたしとしては、不器用な淳太くんから淳太くん担当の皆さんへの「アイラブユー」だと思ったのですが、心痛めている方やご立腹なさっている方が結構いらっしゃいました。
言葉っていうのは本当に難しいですよね~。せめて本人の口から直接発せられたものならニュアンスも正確に伝わっただろうし、文面になるとあんなに刺々しくなってしまう。でもきっと淳太くんは今後もあの路線を継続していくと思うので、どうやってそんな彼とお付き合いしていくのか考えるきっかけとしてはよかったのかも…?と思ったりします。

そもそも、ヲタクとタレントの間に「浮気」なんてものは存在するのでしょうか。あるとしたらその基準は何なんだろう。逆に「一途」であることの必要性とは?ということを悶々と考えていたら随分と日にちが経っていました。
わたしは多分かなり「一途」に分類されるタイプのヲタクです。担当の現場以外には出向かない、担当の現場がない期間はひたすらじっと我慢する、テレビも担当が出ないものはほぼ見ず、CDやDVDも担当が出ないならば買わないことがほとんど。担当以外に興味がわかないので、自然と一途になっていきます。なので、カケモやDDの人の気持ちははっきりいってわかりません(別に嫌いだとかそういうことではなく)。
なぜ自分がこんなにもひとりのことしか考えられないかというと、わたしにとって「担当」の定義が「病的に愛せる人」だからです。
決してリア恋だとか本気愛だとかそういった類の人間ではないですが、多分、わたしの担当に対する姿勢、特にお金の使い方は理解されないことが多いだろうと思います。松竹座、で想像がつく方もいらっしゃると思いますが、担当のグッズが売り切れるかどうかが気になって仕方ない人間なので、そこに湯水のようにお金を使ってしまい(と言ってもほんの少しですが)、それにチケット代と交通費宿泊費…と足していくと他に割ける予算はゼロになってしまいます。このお金の使い方がもうすっかり身についていて、もったいないとはまったく思わず、むしろそこにできる限りお金を使えるようにしておきたいとすら思います。わたしのようなタイプのヲタクを気持ち悪いと思う人がたくさんいるのも事実ですが、きっとわたしはこれからもずっと同じ応援のスタンスでいる気がします。
でも、一途でいることで何かメリットがあるかといえば、ほぼないと思います。現場がない期間は暇だし、ヲタクとしてのモチベーションすごく下がるし。お金は溜まるけど、次の現場が決まれば振り込みに全部消えるわけだし。ただ、自分の中で感情が迷子にならないのでその部分はすごく楽。選択する必要がないので。いつだって選択肢はひとつだけ「担当のいるところ」なのはとても楽ちんです。

では、もし仮にわたしが「浮気」するとして、何をどうしたら個人的に「浮気」になるのかを考えました。その答えは実に単純で「現場のためのお金を落とし始めたら」です。気になるな~とかかっこいいな~とか思うだけなら全然問題ない、テレビ追い始める・動画探すのもセーフ、雑誌・DVD類を買うのもまぁギリギリセーフ。でも、「生で見たい!」と思い始めたら危ない。だって、ジャニーズの現場は「戦場」だから*1。そして、実際に行ってしまったらいよいよアウト。実際に見て「やっぱりいまいちだった~」ってなることなんて極めて稀なケースで、ほとんどの場合は「やっぱりかっこよかった!好き!」ってなるのが目に見えているんだから。そこをぐっと抑えられるかどうかで「浮気者」呼ばわりされても仕方ないかが決まるような気がします、個人的に。あくまで個人的に。

そして、今回淳太くんに「浮気者」呼ばわりされてしまった中に、もし「一途」にあこがれている方がいらっしゃるようだったら、ひとつおすすめの方法があります。それはずばり「自己暗示」です。わたしが元担当に対して丸4年、気持ち悪いほど一途だったのはこれによるものが大きいと思います。わたしが彼を応援し始めたころは、一途こそ美徳だと思っていて*2、それを公にすることをステータスにしていました。Twitterでひたすら「自担大好き」「自担しかいない」「自担が最初で最後」と呟いていただけですが、効果は抜群。人間って簡単に暗示にかかっていくものです、恐ろしい。振り返ってみれば本当に恐ろしいくらい一途だったし、それが楽しくて仕方ありませんでした。元担が最後の担当、元担を降りるときはヲタ卒するときだって信じていたんですけどね。そんなん嘘でした。自分で自分を洗脳していたようなものなのかなぁ。ある瞬間、パキンと音を立てるようにその価値観が崩れて、あっという間に担降りしていました。不思議なものです。

さて、思ったことを書き散らしていたら随分読みにくいエントリになってしまいました…。最後に、アンケートの宣伝をして終わりにします。ぜひ、答えてください!うん、簡潔!

ichigonokimi.hatenablog.jp

 

*1:参戦っていうくらいだから

*2:そのころは淳太くん以外の関ジュも一途さを求めていた、気がする