カーテンコール

なにかのをたく

#わたしの生い立ちジャニヲタ編

「4年間で変わったこと、変わらないこと」はてなブログは4周年!

はてなブログ4周年!おめでとうございます!そういえばわたしも今年の春ジャニヲタ4周年を迎えました。はてなブログとジャニヲタとしての わたしは同い年ということになります。4年間(と約半年)を振り返ってみると、そのころと今で変わらないのは「ジャニヲタである」ということぐらいで他はずいぶんと変わってしまいました。現場に対する考え方、担当に対するスタンス、お金の使い方などなど。
そこで、今回は生い立ち的に自分のジャニヲタライフを振り返ってみたいと思います。タイトルをハッシュタグにしたのは言わずもがな。皆さんのジャニヲタ生い立ちを見てみたいな~と思ってのことです。さて、それではわたしの4年間を分岐点になった出来事や現場数とともに振り返ってみます。

■2011年~はじめまして松竹座、はじめまして日生劇場
※大学4年生、バイトはパーティーコンパニオン(のちに掛け持ち)、単位はゼミ以外取り終えていたのでほぼフリーター生活
○4月
・DVD「少年たち 格子無き牢獄」を購入
→買ったときはエビキスのファン*1だったのでそちら目当てだったが、別ディスク収録だった関ジュ版の虜に。
○5月
中田大智退所
→第一線で活躍しているジュニアでも簡単にいなくなってしまう事実に驚きと戸惑いを覚え、「いつか」なんて考えていたらダメなんだ!と思い、担当を名乗ることを決意。夏の松竹座に参戦することを決める。
○7月
Kis-My-Ft.北海きたえーる「2011SUMMER Kis-My-Ft.2」1公演

→今は亡きJチケでチケットが余っていたので帰省ついでに初のぼっち参戦。案外余裕。確かトロッコ最前だったような気がしなくもない。
○8月
・関西Jr. 大阪松竹座「少年たち 格子なき牢獄…&SHOW TIME!」6公演
→ビギナーズラックで1階最前列センターのチケットが降ってくる。びっくりした。遠征に不慣れだったため、ホテル・バスともに高額だったが最初なので財布への負担は少なかった。チケット業務の仕方を知らなかったため、取れなかった公演はあきらめる。
Kis-My-Ft.東京ドーム「Kis-My-Ft.2 Debut Tour 2011 Everybody Go to TOKYO DOME」1公演
○9月
A.B.C-Z&関西Jr. 日生劇場「少年たち 格子なき牢獄」 11公演
→とにかく大好きな公演だった。破産した。ここ○9月でチケット業務(当時はmixiにお世話になることが多かった)と遠征のノウハウを覚える。東京まで往復10時間の遠征を5回こなす。*2あとから増やしまくったのでやたらと弾丸ツアーをしていたが、冷静に考えれば泊まった方が安く済んでいたはず。あと、名義増やした。
Sexy Zoneデビュー
→最初こそ「なんじゃこいつらは!」と思っていたくせに、気づけばふまけんフリークの仲間入りを果たしていた。日生で見たふまたん可愛すぎたし。
○11月
・スナックで働き始める
→9月の日生で残高がまじめに恐ろしいことになり、親にも注意されたので新たにバイトを始める。時給はそこそこで、シフトにめちゃくちゃ融通がきき、おいしいものが食べられて、1日の労働時間も決まっている。最高以外の何物でもなかった。時々お客のおじさんに説教されたけど、接客業ならクレーマーにあたるのは当然のこと。コンパニオンの方と合わせて週5で7勤くらいしていた。楽しかった。
関ジャニ∞ 札幌ドーム「KANJANI∞五大ドームTOUR EIGHT×EIGHTER おもんなかったらドームすいません」1公演

○12月
・関西Jr. 大阪松竹座「X'mas コンサート2011」7公演
→ファンサの喜びに目覚める。チケ運がよすぎて帰りの高速バスで事故って死ぬんじゃないかと思った。あとやたらと淳太くん運が強かったのに、淳太担の友だちと入ることがなかったので残念な限りだった。
・ウイルス性胃腸炎にかかる
→セクゾンの握手会直前に罹患。その後も浮気を試みるたび発熱や胃腸炎にかかるため担当の呪いではないかと話題に。
・カウコン初登場
→テレビで見ていただけだけど今でも「愛なんだ」を聞くとそのときの気持ちがぐわっとよみがえる。

2012年~伏兵現る、そして我慢の年へ~
※大学→専門学校へ進学、4~8月は実習が忙しくなかなか思うように現場に行けず。
○2月
A.B.C-Z 日生劇場「ABC座 星劇場」1公演
→エビキスファンだったころの名残でデビュー公演なら…といそいそ観に行き、ふまけんに射貫かれて帰ってくる。
Sexy Zone 東京国際フォーラム梅田芸術劇場Sexy Zone First Concert 2012」5公演
→1日3公演、5時からグッズ列にひとりで並ぶなど今までで一番体力的につらかった。内容についてはもうふまけん!!!!!!ってなってた記憶しかない。あと大阪の正門くん。風磨を好きになりすぎて担降りを考え始める。
・ルテアトル銀座「ビューティフル・サンデイ」1公演
→大好きな友だちとお泊りもかねて東京に集合。舞台もすごくよくてしばらく金平糖ブームだったし、今でも落ち込んだときは「エイチは世界で一番いい女だよ!」と励ましてもらいたくなる。
○3月
桐山照史 ルテアトル銀座「ビューティフル・サンデイ」1公演
・MarchingJ 東京ドーム「ジャニーズJr.選抜野球大会 2012」
Sexy Zone 横浜アリーナSexy Zoneアリーナコンサート2012」2公演
・関西Jr. 大阪松竹座「春休みスペシャルコンサート2012」2公演
→大学の卒業式の翌日に引っ越し、大体片付いたところで横浜へ向かい、そのまま夜行バスで大阪へというスケジュールを組んだのは、専門入学前の現場納めだったから。このあたりからスケジュールがかつかつで、前のように入りたい数だけ入れなくなってきた。担降りを考えていたが一発のファンサで引き戻される。お手軽。
○4月
日生劇場「滝沢歌舞伎2012」2公演
→入学したてでスケジュールも組みにくい時期だったが、どうしても行きたくて日帰り遠征した。担当が登場して口上を述べた瞬間、涙腺が崩壊したのを覚えてる。
○8月
・関西Jr. 大阪松竹座少年たち 格子なき牢獄…&SHOW TIME!」4公演
→あの配役が見たいな~と思っていたら現実になってしまった公演。死んでしまうかと思ったし、死んでもいいと思った。確か学校さぼった気がする。
○9月
A.B.C-Z&関西Jr. 日生劇場「少年たち Jail in the sky」7公演
→破産2回目。あと、名義増やした。
○11月
・キャバクラで働き始める
→二度目の日生破産を果たしたことにより、無職を脱することに。学校のスケジュールが一週間前くらいにならないとわからなかったりするので、普通にシフト組むバイトは難しいし、どうせなら高時給…ということで。毎日やめたかったけど1年以上続けることになった。もちろんお金には余裕ができたので現場は増やせた。ハッピー。
○12月
・関西Jr. 大阪松竹座「X'mas コンサート2012」5公演
→担当の誕生日公演、あんなにうれしそうな顔は初めてだったと思うし、うれし泣きするのを見て応援しててよかったなぁと心底思った。今でもなんだか大切な日だと思ってしまう。というか、現場入れないと!ってなる日。このあたりまでは基本自チケと交換でまかなっていたような?

2013年~ヲタク絶頂期~
※専門2年生、下半期は授業も減り週の半分はフリーター生活。
○3月
・関西Jr. 大阪松竹座「春休みスペシャルコンサート2012」5公演
○7月
・関西Jr. NHKホール「関西ジャニーズJr.初全国ツアー2013」3公演
→スケジュール合わない!チケット当たらない!で東京しか行けず。それでも大満足できたし、オーラスのトリプルアンコの歓声以上のものをわたしはまだ聞いたことがない。
○8月
・関西Jr. 大阪松竹座「ANOTHER」4公演
→友達含め自チケ全滅という初の事態。他の友達に譲ってもらったりなんだりしたけど、相場が恐ろしく高騰している公演だったためなかなか大変だった気がする。劇中歌がめちゃくちゃ好きだった。あとはじめてフォトセット100買ったのもこのとき。
○10月
新橋演舞場「大和三銃士」20公演
→この年はこれのために生きていたと思う。20回通っても足りない!と思ったし、生きていて楽しかった。普通に学校の授業もあってバイトもしていたはずだけど、演舞場にいた記憶しかない。そして早乙女太一に出会ってしまった公演。
○11月
ドラマ「SHARK」番協 2回
→ライブハウスでの番協。すっごい近距離に興奮する。メイキング映り込みにもほどがあって後日死んだ。
○12月
・関西Jr. 大阪松竹座「X'mas コンサート2013」4公演
→嫌な予感が胸をよぎる組み分け。公演自体はすっごく楽しかった。流星不在事件で責任のないふたりに謝罪させたのだけは今も許してないけれど。フォトセット140に増える。
・悪夢のカウコン
→語らずもがな。

2014年~なにこれどんな演出だよ!まさかのデビュー担へ~
※社会人1年目、先輩が出社拒否を起こし半年で現場責任者へ
○1月
早乙女太一 名鉄ホール「新春特別公演2014BUMP」2公演
→傷ついた心を癒してもらうため…というか現実逃避するため、夢を見せてもらうため年明け早々名古屋に飛んだ。
○2月
ジャニーズWEST 日生劇場「なにわ侍ハローTOKYO!!」2公演
→チケットなんて取っているわけもなかったが、数日前から出演フラグが立ちはじめたため急いでチケットを確保。初日の幕を開けてみればまさかの人数変更で。泣くほど嬉しかったのと、ここまでがシナリオなのかな?という思いと。でも、7人のええじゃないかはやっぱり泣けた。
○4月
ジャニーズWEST 大阪松竹座「なにわともあれ、ほんまにありがとう!」3公演
→ファンサ厨フラグ立つ。フォトセット75に減る。
○7月
ジャニーズWEST ZeppNamba デビューイベント 2公演
○8月
ジャニーズWEST 大阪松竹座「台風n Dreamer」3公演
ジャニーズWEST 横浜アリーナ「皆さんのおかげSummer Carnival」1公演
○9月
ジャニーズWEST 日生劇場「台風n Dreamer」2公演
→ファンサ厨疑惑深まる。担当への気持ち揺らぎ始める。

2015年~祝!初の担降り~
※社会人2年目、連休取るのに罪悪感が生まれる立派な社畜に成長
○1月
ジャニーズWEST 日生劇場「なにわ侍 団五郎一座」1公演
→内容に深みがあって(当社比)すごく面白かった、ゼロ番に立つ担当見てコロっと引き戻される。お手軽。
○5月
ジャニーズWEST 大阪城ホール「パリピポ」1公演
→見ていて違和感。これは違う、もう駄目だと思い担降りを決意。
○6月
ジャニーズWEST 神戸ワールド記念ホール「パリピポ」2公演
→1公演めで元担にさようならを告げて、2公演めで現担当に出会う。終わったあとのホテルでひとり担当会議を開き、翌日にはすっかり現担当の虜に。
○8月
・関西Jr. 大阪松竹座「少年たち 世界の夢が…戦争を知らない子供達&Summer Show!」3公演
→はじめてうちわ持てる!とルンルン気分でいたらうちわ狩られる。なのでフォトを買う。110セット買う。
○9月
・手下沼につかる
→何とか茶の間で踏みとどまったくせに、アクター沼にどぼん。そして今に至る。


こうして見るとやっぱり最初の一年間と2013年の濃さが異常だなと思います。だから、いまひどく物足りなく感じるのかもしれません。ジャニヲタを始めたころは一途こそ美学!だと思っていたけど、今は好きなものはたくさんあった方が楽しいと思う。入れたらそれで満足!質より量!だったのが、今はそこそこの席で入れる分だけ…というスタンスに変わったし。変わらずにいるって簡単じゃないですよね、やっぱり。

さて、タイトルをハッシュタグ風にしたのは言わずもがな。皆さんのジャニヲタ生い立ちもぜひ見せてください!お待ちしています!

 

*1:少クラを見て満足するくらいの茶の間

*2:東北在住だったのに、友達に「エイチいつも東京にいるね」と言われた